振られた理由

ちなみに、つきあって三日で振られました。
出会いは合コン。
二週間後に二人で遊んで、そん時コクって見たらOKでした。


古文が好きで、小さい頃からモダンバレエを習っている。キングコングがつまらないとちゃんとわかっている。
酒豪。学校でのあだなは杉田かおる


こんなプロフの子、十中八九不細工です。でも、俺の好みにドンピシャだった。
その意外性で、簡単に落ちましたね僕。


振られた理由。
彼女には、一年前から好きな人がいて、その人とセフレ関係になってしまっているそうです。
俺なら、愛されてるって実感をくれると思ってつきあったそうな。
でも、やっぱ重いってさ。


これだけ見るとほんとふざけた女ですねぇ。
でも惚れちゃったもんは仕方がないので、しばらく引きずって人生歩みます。
たまにメールしちゃったりするのを生きがいに。

久々に

失恋いたしました。例の後輩。
なんか男できてたらしいです。フーン。
父親のことは話していたので、俺のことを心配してはくれていたみたいです。
やっぱあれか、元カノにしたみたく、電話の向こうで泣くべきだったか。


いやーヘコんだ…。もう一回だけ会おうって言っても断られたし。
なんやかんやで、最後に会ったのが一ヶ月くらい前なので、
俺の中でどんどん相手が美化されてってるような気がします。
まぁいいか、一回ヤれたし…。よくないけど…。


これから学園祭シーズンなんで、がんばっていきたいと思います。

父親その3

布団の上で、顔に白い布を被せられて寝ていた。
父親である。
さすがにここまで来ると、現実を直視せざるをえない。


泣かずにはいられなかった。母親、妹、叔父の家族、みんな泣いていた。
母親が布をめくっていたが、俺は父親の顔を直視できなかった。
ずっと、壁を向いて泣き続けていた。


検死の人の話によると、死亡時刻は、午前11時くらいらしい。
9時間近くも野晒しになってたのか。可哀想に。


「私が負い目を感じるように、わざとこんな死に方をしたのよあの人は。」


母は、疲れきった顔でそうぼやいた。


その後、父親の妹の家族が到着。みんな泣いていた。


悲しみに浸る間も泣く、大人たちは通夜や葬式の日取りの話し合いをしていた。
日にちの関係で、二日間置いて、3日目に通夜をするらしい。
夜も遅かったため、それだけを決めて、全員寝ることになった。



俺は眠れなかった。父親のことをずっと考えていた。
夜中の二時くらいだろうか、俺は父親のいる和室に行った。
父親がいる。布をとる。
とても死んでいるとは思えなかった。
普段の寝顔と何も変わらない。揺すったら起きそうな気すらする。
顔に触れてみる。冷たい。堅い。これが死ぬってことか。
俺は泣き崩れた。

「ごめんな。ごめんな。」

俺は、泣きながらずっとそればかり言っていた。
俺は父親に、何も親孝行らしい親孝行をしていない。
21年間育ててもらって、恩をもらったままだ。
就職する姿も、結婚する姿も、孫の姿も、何も見せられないまま死んでしまった。
ちょっと死ぬの早すぎだよ。もうちょっと待ってよ。
先月父親が退院した時俺は母親に、「今度お父さんを、野球見に東京ドーム連れていこうかと思ってる」と言っていた。
父親は野球が好きで、ちょくちょく見に行っていた。
そう俺が言っていたのを母親から聞いた父親は、とても嬉しそうにしていたらしい。
こんなことなら、さっさと連れていくんだった。
親孝行をしようか、と思い始めた矢先に死んでしまった。
「俺も死んだら、あの世で親孝行するから。」
泣きながら、そんな言葉を口に出した。
生きている時には、こんな台詞絶対に言わなかったくせに。
後悔しか浮かんでこない。ごめんとしか言えない。
夜明け近くまで、俺は父親のそばで泣いていた。
人生で、ここまで泣いたことは無い。自分でも驚いた。

父親その2

実家へ帰るまでの時間、俺と妹は冷静だった。
これからの家のことについて話したりもした。
父親の会社、母親の浮気相手、学費、家のローン。
考えることは山ほどあった。
母親の浮気について妹と話すのは久しぶりだった。



俺が中2、妹が小6の時のことである。
母親の口から、思いもよらない言葉が出てきた。
「お母さん、他に好きな人が出来ちゃったの。」
聞けば、うちを作った大工らしい。
そういえば、学校から帰ると、なぜかダイニングでお茶を飲んでたりしたことがしょっちゅうあった。
その言葉を聞いた時俺は、ドラマみたいだなおい、とか思っていた気がする。
両親の仲が冷え切っている様子は昔から見ていたし、特別驚きもしなかった。
妹がどういう表情でいたかは覚えていない。



実家の最寄の駅に着くと、従兄弟が車で迎えに来ていた。
車中の空気は重かった。何て言ったらいいかわからない。従兄弟もそう言った。

実家につくと、リビングに、父親の弟夫婦とその子供二人がいた。
父親の遺体は、まだ検死中だという。
父親は、家の裏の栗畑で倒れていたらしい。
父親はよく、余分な枝を切ったり、草を抜いてたりしていた。
病院で死んだわけでは無いため、検死や、第一発見者への事情聴取に時間がかかっているようだ。


第一発見者は、うちの母親。
家の電気がついていないのに、車がある。家の中には誰もいない。
この時点でおかしいと思った母親は、家の裏の栗畑を必死に探したらしい。
すでに外は暗かったため、近所の人を呼んで一緒に探してもらう。
そして、仰向けになって倒れている父親を見つけた。
もう、体は冷たかったらしい。
探していた時、発見した時。その時の母親の気持ちを考えるといたたまれなくなる。


母親がダイニングに来た。検死が終わったらしい。
母親の様子は、いつも通りだった。
この時になってもまだ俺は、父親が死んだと信じてはいない部分があった。
信じてはいないというより、実感が湧かないと言ったほうが正確だろうか。
そして、父親の遺体のある和室へと向かった。